こんにちは!マリン教室・実感国語担当の齋藤です。
突然ですが、みなさんは芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のお話を覚えていますか?
地獄の血の池で苦しんでいた大泥棒「犍陀多(かんだた)」というは、
たくさん悪事を働いてきたけれども、
ひとつだけよいことをした覚えがありました。
一度は踏み殺そうとした小さな蜘蛛を、思い直して殺さずに逃がしてやったのです。
そのことを覚えていたお釈迦様は、
極楽の蓮の池から一本の蜘蛛の糸を地獄へと垂らして、
犍陀多を助けようとするのですが……。
というお話です。
今年度の夏休み、総合学習室アビリティでは小学2・3年生の子どもたちを対象に、
はじめて文学に触れる特別講座を開催しました。
テーマはこの「蜘蛛の糸」です。
「蜘蛛の糸」は私自身、
小学生時代に何度も読んで親しんできた作品なのですが、
よく考えてみると、ちょっと不思議です。
「この蜘蛛の糸は、どうして切れたの?」
細い「蜘蛛の糸」はもちろんすぐに切れてしまうものですが、
この物語のはじめ、犍陀多が1人でのぼり始めた時には切れません。
そして、犍陀多が蜘蛛の糸をのぼって地獄を抜け出そうとしていることに気づいた「罪人ども」が、
「何百となく何千となく」後を追ってのぼってきても切れません。
もし「蜘蛛の糸」が大勢の人の重みで切れたのであれば、
犍陀多を残して「何百となく何千となく」のぼってきた罪人たちだけ落ちるでしょう。
しかし、落ちるときには「急に犍陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて」切れるのです。
じゃあ、どうして犍陀多が1人でのぼっていた時には「何ともなかった」の???
考え出すと、不思議だと思いませんか。
そもそもお釈迦様は、
本気で犍陀多を助けようと思ったのであれば「蜘蛛の糸」を使う必要もなかったはずです。
こんな疑問を投げかけて、
この「蜘蛛の糸」という作品をじっくり読み味わいました。
「極楽ってどんなところ?」
「蜘蛛の糸ってどんなお話だと思う?」
「君がお釈迦様だったら、どうする?」
3日間、どの子も真剣に作品に向き合い、一生懸命考えてくれました。
3日目の最後には、
「え~~~~~~~!!!もっとやりたい!!!」
と声が(笑)。
芥川龍之介先生も、きっと喜んでいるに違いありません。
実感国語では、これからも楽しい企画をたくさん提供していきます。
どうぞお楽しみに!